星詠み人〜アサギマダラと天文図

日時:2022年10月16日(日)
会場:国営飛鳥歴史公園 キトラ古墳壁画体験館 四神の館 

作:なかええみ
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■はじめに
 このお話は「国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区「四神の館」」で上演されるための書き下ろし作品です。
 キトラ古墳の内部に壁画(天文図)が描かれていることが発見されたのは今から40年前。その天文図は、日本だけでなく東アジアで最古のものということがわかり、東洋の天文の歴史を知る手がかりとしても注目されています。古代の天文図とは思えないくらい精緻で気高く描かれたキトラ天文図を心に描きながら、当時の天文図に心を寄せてお話をつくりました。
 2022年10月15〜16日の国営飛鳥歴史公園内で行われる「飛鳥星まつり」において上演します。

「星詠み人」には、「星を観測してそれを占い歌にして詠う人」という古来からの意味と、もう一つ「星を見て未来を願い歌を詠う人」という意味を含ませています。
 このお話の主人公は「天文生(てんもんしょう)」。天文博士の下で学び、仕事をしています。天文の観測、天文図の作成などをしています。
 時代は飛鳥。遣隋使とともに来日した博士、僧たちの知識を吸収し、新しい国制度を作り上げた時代。特に最新技術の水時計、暦、そして、占い、天文。
 時を司り、天をも支配する天皇大帝の思想が大きく入ってきた時代、多くの若者が大志を抱き未来の国を夢見ていたのかもしれません。

 もう一つのキーワード、アサギマダラは、渡り蝶です。1000km以上も海を渡ると言われています。海を渡り魂を運ぶ霊魂の存在として物語に登場します。

アサギマダラ(撮影:細田晴美)

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■ものがたり  飛鳥時代。新しい国づくりと共に入ってきた天文図をめぐるお話。 若い天文生は、天文観察に大志を抱いていた。天文を観察するのは国を支えること。 天象には、国の命運が現れる。 いかなる天文の変化を見逃さまいと仕事をしていた。 ある時、天文生は美しい歌を聴き、その歌声に心惹かれる。 一方で、里に不吉な歌が流行る。その歌がいつか凶事を引き起こすのではないか?と気が気ではない。 ちょうどその時、天空に凶事の徴が現れる。 災いを止めなくてはと、外に飛び出すとアサギマダラに出会う…。

音楽は笙とピアノ。
天界そして、天文図の音楽を、宇宙の音の響きとも言われている笙(井原季子)で響かせます。憧れから、絶望まで、人の移ろふ心の旋律をピアノ(渡会光晴)が奏でます。奄美のシマ唄(渡会美枝子)が物語を古から未来へと導きます。

■上演情報 
音楽劇「星詠み人~アサギマダラと天文図」
作・出演:なかええみ

飛鳥国営歴史公園主催 星まつり
【日 程】10月16日(日)   
【会 場】四神の館内 四面スクリーン

■出演
<第一部> 音楽と舞
歌・笛 渡会美枝子
笙 井原季子
ピアノ 渡会光晴
舞 なかええみ

<第二部> 『星詠み人〜アサギマダラと天文図』
笙 井原季子
ピアノ 渡会光晴
役者 なかええみ

全1幕 全9場
■プロローグ
■1場 天文
■2場 天界への憧れ
■3場 天文図
■4場 災い歌
■5場 星詠みの歌
■6場 天文生
■7場 不吉な兆し
■8場 アサギマダラ
■9場 星詠み人

・・・・

■「キトラ古墳」と「キトラ天文図について

キトラ古墳(キトラこふん)とは
 7世紀末〜8世紀初頭に造られたと考えられている円墳。
場所は、奈良県高市郡明日香村の南西部、阿部山。「キトラ」は亀虎の表記もある。名称の由来は、諸説ある。(北を司る玄武(亀)と西を司る白虎(虎) から命名など)

当時の「天文」を知る手がかり
 内部に壁画があることが発見され、キトラ古墳は飛鳥時代頃の朝廷の天文知識や中国、朝鮮から渡ってきた文化、学問、技術を知る手がかりとなっている。(暦、時計、算術、法)天文図は東アジアで、最古に属するものである。

天文図の発見は40年前。
1983年11月7日、石室内の彩色壁画に玄武が発見。
1998年 青龍、白虎、天文図が確認。
2001年 朱雀と十二支像が確認。

誰が埋葬されているか?
 未だ判明していない。キトラ古墳出土品に、飾り金具、刀装具、玉類など出土された。正倉院にも匹敵する優美なものであった。50〜60歳代の男性と人骨から分析された。

天文図と一緒に描かれていたもの
 キトラ古墳内部の石室に壁画が描かれていた。
天の四方を司る四神の青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)。
それぞれの四神の下に三支づつ、合計、十二支の獣頭人身が描かれていた。

キトラ天文図
 キトラ天文図は天球の広域にわたる中国式星座を描いたもの。
後の時代にも受け継がれ、仏教では、北斗信仰として星曼荼羅も制作された。天の北極を中心に星座と日と月が描かれている。星は金箔の丸。星と星を繋ぐ線は朱色。
星は全部で350以上。星座は74以上。
他に、北極(中心点)を中心に朱色で円が描かれている。大中小、三つの円。
 小円・・地平線に沈まない星
 中円・・地平線に沈む星
 大円・・地平線から上がってこない(1年中見られない)星
さらに、中心からずれた円もあり、それは太陽の通り道の黄道を示している。
キトラ天文図は長年に渡り観測された天文図が描かれている。観測地点は飛鳥より北ではないかと考えられている。

キトラ天文図の世界観
 中国で発祥した星図。北極を中心に3つのエリア(三垣)に分かれていて、天帝を中心の星と見立てて、他の星を天帝に属する支配(配置)として考えられている。中心のエリア(紫微垣)にはが身分が高く、天皇、太子、庶子などの星がみられる。中国の書『史記』の注釈書『史記索隠』に「星座に尊卑有子は人の官曹に列位有るが如し」と記されている。また、李白の詩『羽林十二将』に「羅列応星文」(星宿せいしゅくの方位に応じて配置につく)とある。

飛鳥時代の天文関連
 飛鳥時代は、中国、朝鮮で発展した学問、思想が伝えられていた。
民衆にまで広まることはなかったが、発展した技術、学問を積極的に取り入れ、国の基礎である制度、体制に組み込まれていった。伝えられたのは天文図だけではなく、時計(水落遺跡・石神遺跡(当時の迎賓館))、カレンダー(具注暦木簡)などがあり、最先端の技術と思想を取り入れていたことがわかる。

【ご観劇のために】
天武天皇は天文や占いが出来た
 日本書紀の天武天皇期には、このような記述がある。
「天文・遁甲を能くしたまふ」。
意味は、「天文・遁甲(占い)に優れておられた」です。戦術を考えるときに、自ら式盤を用いて占った記述も残されている。
・・・横河にいたらむとするに、黒雲有り。広さ十余丈にして天にわたれり。時に天皇、あやしびたまひ、即ち燭(灯)をあげてみずから式(ちょく:占い盤のこと)をとり、占いて曰はく、「天下両分のしるしなり。然して われついに天下を得むか」と・・・

また、天武4年1月5日の記述には、「始めて占星台を興(た)つ」とあり、飛鳥の時代に天文が政の中に大きく入ってきたことがわかる。

「観象授時」の思想が反映された天文
 天文図は日本に渡ってきた僧侶(学者)によって伝わりました。中国古来の思想に「観象授時(かんしょうじゅじ)」という政治思想があります。それは「支配者たる皇帝は天文現象に現れる天帝の意志を見てまつりごとを行う」というもの。聖武天皇は明確に観象授時の達成を図るために占星台を興し天文現象を記録させたのではないかと考えられます。(参考資料「キトラ古墳と天の科学」より 中村士氏 論説)
 また、キトラ古墳の天文図に残されているように、星は中心にある星々が皇帝(君主)に近い星であり、外に広がるに従って、君主に仕える星々の名前となっています。
つまり、天体に皇帝の相関図が描かれているとも言えます。

 当時の朝廷の歌詠であった柿本人麻呂の和歌に、こんな歌があります。

大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも

皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為流鴨
<よみ>
 大君(おほきみ)は
 神にしませば
 天雲(あまぐも)の
 雷(いかづち)の上に
 廬(いほ)りせるかも
<私訳>
大君は 地を司り天象も司る神でおられるので 雷の上に仮の庵もお住まいでいらっしゃる。

・現在の明日香村にも「雷丘」という地名があり、小高い丘になっています。
天文現象を表す言葉についた地名を思うと、天をも支配している大君の姿が浮かび上がるようです。

天文知識や情報は内密に、さもなければ罪となる。
 天文現象には天帝の意志が表れているのであるから、天の示す姿は、政の予兆や君主の身に何かが起こることの反映ともみなされた。(参考資料「キトラ古墳と天の科学」より 石橋茂登氏 論説)
 当時の法令(大宝律令・養老律令)の「僧尼令」には、僧や尼が天文現象を観察して占うことは罪であると明記。また、同じく「職制律」には、天文観測器具、書物、式盤を個人所有してはならないと明記。さらに、「雑令8」には天文生が占書を読んだり天を仰ぎ見て観察したことを漏らすのは禁ずる。と明記されている。

 今回の『星詠み人〜アサギマダラと天文図』では、天文の学生、天文生が気候の変動を外部に漏らすことをしてしまいます。それが物語のキーとなっています。

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飛鳥星まつり2022 チラシ


取材ノートはこちら
ノート「アサギマダラに魂をのせて。徳之島節
ノート「童謡わざうた